武石地域の伝承 

  武石には、沖飛魚と巣栗狭の2つのお仙ヶ淵伝承があります。

 

(その2  巣栗峡のお仙が渕)


お仙が渕


   〜大沢智恵著 信州教育出版社 小県上田の民話 (信州児童文学会編)から〜

 

武石の奥の山奥に、むかし、お仙、金太郎、金次郎という、三人のきょうだいが住んでいたそうな。
 このきょうだいは、、もともと村のもんではない。いつの間にかどこからか渡ってきたものたちだが、山住みのもんで、村の人方とはつき合いもないし、口もききはしなかった。  ただ、時々お仙さまが、木から木へ山鳥のように飛び移り、高い岩をましら(さる)のようにはい登るところを、ちらりと見かける村人もいたそうな。まことにそれは、口ひきむすび、髪はわっさりそそけ立ち、こわい顔をした女だったから、
「あれは、やまんばにちがいない。」
「おそろし、おそろし。」
 村の人方は、きょうだいの住んでいると思われる山奥へなんぞ、なるべく近よらないようにしていたそうな。
 ところがある時。たぶんその年は、雨のうち続くつべたい年で、山にも食べる物ができず、食うにとぼしくなったのではないかしらん。その三人のもんが、こっそり里へおりて来て、毎日のように、うさぎやらにわとりやらを取っていく。
 村人たちだって、こんなさぶい年には田畑の物が、ろくに実らないから、だれでも食うや食わずだ。その上に、とらの子の家畜を取って行かれては、だまっていられない。 「あの三人にも困ったもんだ。どうしたらよからず。」
とばかり言うもんもいるし、
「なんちょう、ゆるしておくもんか。三人ながらとっつかまえて、おしおきにしちまえ。」
 と、いきり立つもんもいて、村じゅうがだんだん、おだやかでなくなってきた。
 ところがそのようすを、天の神さんがじっと見ておいでて、あわれに思い、
「いっそのこと、おまえとうは、水に住む者になれ。」
 三人のきょうだいを、みんな、水の生きものに変えておしまいになったそうな。岩魚やへびに変えてしまいなすったそうな。
「水の中には、どじょうでもやごでも、食いもんがたんといる。安気に食いつないでいけるぞよ。そうすればおまえらは、村のもんにもだれにも、追われはしねえでな。」
 そして、姉のお仙を、巣栗の奥の深い深い渕に入れ、ここを「お仙が渕」と名づけた。  すぐの弟の金太郎をば、山一つ越した内村、霊泉寺の渕に住まわせ、ここを「金太郎渕」と名づけた。
 また、末の弟の金次郎は、お仙が渕から道をしばらくくだった所、権現の池に住まわせ、ここもまた「金次郎の池」と名づけた。
 こうして三人を、それぞれの渕や池の主にしなさったというわけだ。
 その後はもう、うさぎやにわとりを取られることもなく、畑を荒らされることもなく、村はもとどおりおだやかになった。
 あわれにも、こうしてすがたを変えられてしまった三人は、だが、いまだにまだ、ちゃんときょうだいでいるのだそうな。
 それがしょうこには、お仙が渕にぬかをまくと、山一つ越えた他村の渕だというのに、金太郎の渕に流れて出る。山底深くくぐり合いながら、二つの渕がしっかり手をつないでいるあかしだ。
 ふしぎは、そればかりではない。
 あるとき、村の男がお仙が渕へ魚つりに出かけたところ、これはまたたまげたことに、とてつもない大きな岩魚がかかったそうな。
 こしごへなんぞはいりきれないような、大きな岩魚だ。
 男はもう、うちょうてんになって、まだ日は高いが、つり糸をまいて、ほくほく帰って来た。
 さて、ずんずんくだって、権現の金次郎さまの池のそばを通りかかったとき、急に、こしごの岩魚が口をきいた。
「金次郎、金次郎。おれはつられて行くわいや、われ(おまえ)、たっしゃでくらせ。われ、たっしゃでくらせ。」
 すると、そう言い終わるか終わらぬに、急に一天かきくもり、水おけひっくりかえしたような大雨が、ざんざん降りに降り出した。
 男が、びっくりたまげて、こわごわこしごをのぞくと、これはどうだ。つり上げられても、まだびんびんしていた大岩魚が、かげもかたちもない。
「ひゃー、あれこそ主だっただ。お仙さまだっただ!」
 男は、まっ青々になった。
「おら、おっかねえわやい。」
 そうして、その大雨の中を、後をも見ずに、逃げ帰ってきたそうな。

 

 今、それらの渕や池のほとりには、小さなほこらがたててある。せめて、三人のたましいをなぐさめようというわけだ。
 また、お仙が渕は雨ごいの渕で、雨がいく日も降らなくて水に困ったとき、村人は、ここに石をぶっこむ。お仙さまをおこらせて、雨を降らせてもらおうというわけだ。
 それでも降らずによくよく困れば、渕をめがけてどーどー落ちている滝に、とよをかけてしまう。滝の水を渕に入れないように、別の道に落とし、渕を干し上げるのだ。こうすると、岩魚のお仙さまが困って、雨を呼ぶにちがいないというわけだ。
 つい近々では、昭和のはじめの大干ばつの時に、丸子の製糸工場の古えんとつをもらって来てといをかけ、水を川下に落としてお仙が渕を干した。
 きき目もたしかにあったらしいが、干した渕の底には、なるほど大きいらしい岩魚のせなかが、ひらりと見えがくれしたそうだ。
 いずれにもせよ、このお仙が渕というのは、のぞけば寒気がくるくらい、きり立ったおそろし気な渕だ。
 魚つりに行っても、気の弱いもんは、ずっと下の方でつっていて、渕の方はなるべく見ないようにしているということだ

 

 

 
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